今週は、雄勝へ配達しました。
先日、市民ネット石巻の方たちが新庄最上有機農業者協会の方へ来ていただき、大根をたくさん収穫してくれました。その大根を持って仮設の方へ。
石巻から車で約1時間、長い山道を通り現地へ到着。
現地では、被災者の方たちがみんな協力して頂き、各家庭ごとに均等に野菜を分けました。
里芋が多くありましたので、あるご家庭では、冷凍しておくとのことでした。
そして、なんとごちそうになってしまいましたッ!
先日、雄勝の海で捕れた新鮮なイクラがとても美味しかったです。
そこで、お世話してくれたSさんというお母さんからいろいろな話を聞きました。
※雄勝の海は、湾岸になっており、震災当日から瓦礫や家そのものが流されてきた地域です。http://www.47news.jp/movie/general_national/post_2604/
「3月11日当日は、海にいる息子が津波の第一発見者で、高台へ避難しろと連絡を受け避難しました。」
とのことです。息子さんとお父さんは漁師の為、船が気になり船着場がよく見える小島にいたとのこと。
そこへ津波が押し寄せ、松の木に登り、一命を取り留めたとのことでした。
案内して頂き、実際にその木を登ろうとしてみましたが、絶対に無理でした。
ですが、78歳のお父さんと息子さんは、この松の木を登りました。
ごちそうになりながら何が必要かなどを直接聞きましたが、
Sさん曰く、「旦那と息子が助かって、本当に何もいらないと思った。ボランティアの人たちがいろいろしてくれるのはうれしいけど、もらってばかりじゃ悪いし何かしてあげたい。その為に、来てくれた人にはごちそうしてる」とのことでした。それが楽しみでもあるとのこと。来てくれた人たちと一緒に写真を取り、それを一冊のアルバムにしたいと話されてました。
また、全国から送られてくる物資についている、住所や手紙、メッセージなどは大切にしまってありました。
震災当日から50数日間お世話になった近くのお寺にも案内して頂きました。
被災地にも秋が来ています。
8ヶ月経過した今も、田舎の方はこのままの状態です。
Sさんの旦那さんと息子さんが助かった松の木がある場所の祠の跡。流されてなくなっています。
先日は、他のメンバーと山形へ訪わさせて頂き有難うございました。
支援用野菜の収穫も体験できました。
また、雄勝の仮設住宅へ自分達が収穫した野菜の配布に関らさせて頂きました。
そのときにお邪魔したSさんの言葉が忘れられません。
「本当に感謝してる。こうして毎日生活できる事、毎日、毎日大切に生きる事。
沢山の方が来てくれて、皆と出会える事。」
命を救った松の木の近くに小さな子松が生えていました。
「この子供の松に毎日、水をあげているのよ。」
とSさんはいとおしく子松をご覧になっていました。
子松が大きく育つ頃、この港町が美しく復興している事を願わずにいられません。
今回のような暖かい出会いがあったのも、定期的に支援用野菜の配布をして下さっていたからだと思っています。
本当に有難うございました。